キャリア教育NPO法人 Grow & Leap

「勉強できる人」ってどういう人?フランス留学で気づいた自分の価値観

こんにちは。インターン生のサッシーです。
私は日本の私立大学の3年生なのですが、それと同時にフランスの大学の2年生でもあり、現在はフランスで生活しています。所謂、ダブルディグリープログラムという留学プログラムで、日本で3年、フランスで2年、正規生として学生生活を過ごし、両方の大学の学士を取得できるプログラムに参加しています。

中高生の皆さんは「留学」と聞いて何を思い浮かべますか?
私は一番に「価値観の違い」を思い浮かべます。実際に留学した理由の一つに、自分と異なる価値観の人に出会いたいという動機がありました。留学に応募した一年以上前の自分は漠然と、異なる価値観を持った人と友達になるのは楽しいだろうし、良い刺激になるだろうなと考えていました。
この記事では、実際に自分が一年フランスで学生生活を送ってみて感じた価値観の違いと、それが自分にどのような影響をもたらしたのかについて書いてみようと思います。ただ、まだ自分もフランスに来て一年が経過し、やっと環境に慣れてきた段階です。そのため、この記事で書く内容も今後変化するかもしれないですし、自分の考察もバイアスがかかっているかもしれません。こんなことを感じた大学生がいるんだという程度に読んでいただけたら幸いです。

 

名門中高一貫校の中で感じた
日本で抱かれる「勉強できる人」のイメージ

価値観と言っても様々な側面があると思います。例えば、家族観やお金に関する価値観、宗教観など挙げればキリがないと思います。実際に、私はこの一年で様々なトピックにおいて価値観の違いを感じてきましたが、今回は中高生の皆さんが身近に感じやすいと思う価値観について話させていただきます。それは「勉強ができるか否か」に関する価値観です。

私が持っていた「勉強ができるか否か」に関する価値観は、主に中高、そして浪人の間に形成されていました。私は日本の中高一貫校に通っていました。この学校は学年のおよそ3人に1人が東大に進学するという所謂名門中高でした。この中高生活を通して私は「勉強ができる人」は、「知識量が豊富で、正しいエビデンスに基づいて素早く判断を下せる人」だと思うようになりました。これは端的に言って、大学受験(特に東大)において、限られた時間内で素早く正解を導く能力が高い人が「勉強ができるか否か」でした。
日本の大学に入学後もその傾向は続きました。もちろん大学の勉強は、答えのない問題を扱うことが増えましたが、それでもやはり自分を含めて多くの人が共有している「勉強ができる人」は「知識量が豊富で、正しいエビデンスに基づいて素早く判断を下せる人」でした。

 

素早く正解を導くことができる人ではない?
日本とは異なるフランスの「勉強できる人」

では、フランスの「勉強ができる人」はどのような人なのでしょうか?
私なりの答えを提示する前にフランスの大学生活について軽く説明します。フランスの大学では、主にレクチャー(日本の大学の講義に当たるもの)とセミナーで分かれていました。レクチャーで得た知識を軸に、セミナーで議論することが求められました。実際には、レクチャーで習ったかどうかは関係なく、個人が自分の体験談やあるいは自分自身で読んだ本の内容に基づいて議論が行われていました。
このようなフランスの環境では「勉強ができる人」は「議論ができる人」でした。とにかく授業中に手をあげて発言し、意見を主張し、その意見に対して異なる意見があれば反論できる人が、「勉強ができる人」として捉えられていました。

この異なる「勉強ができる人」像について、自分がどう感じたのか。
まずはじめに、日本とフランスの「勉強ができる人」の要素は共通していると感じました。議論をするには、ある程度の知識、そして判断力を要するだろうし、その逆も然りなのかと思いました。しかしその一方で、日本の感覚に慣れていた自分としては、フランスの「勉強ができる人」像に疑問を感じることも多々ありました。
そのひとつに、複雑な背景を単純化して主張をしやすくしていたり、そもそも極端な意見を持つ人の方が主張をしやすかったりすることがあります。例えば、国家制度の議論をしているときに「日本はルールに縛られすぎている」といった主張を、あやふやな根拠で話している人がいました。自分の意見としては、そうした社会現象は無数にある社会現象と互いに結びついているため、日本に一度も住んだことない人が一つの社会現象である「ルール」を取り出して、そこに対して是非を言うのには納得できませんでした。しかし、その人は自分の意見をしっかり主張して議論をしているという意味で、「勉強ができる人」という印象を持たれていました。

このように、異なる「勉強ができる人」像を比較して、どちらがいいとか悪いとかは言えないものの、どちらもメリットデメリットがあると私は感じました。

 

強い劣等感を抱いていた自分が異国で気づいたこと
「人との出会いは自分を相対化してくれる」

話は前後しますが、私は中高時代勉強をサボり、落ちこぼれてしまい、学年下位一桁でした。周りの人が「勉強でき」、かつ我々のコミュニティにおいて「勉強ができる」か否かは重要なファクターであったことも相まり、私は「勉強ができない」ことに強い劣等感を抱いていました。しかし、こうしてフランスにきて、私が劣等感を抱いていた「勉強ができるとかできない」とかは、そもそも前提にある価値観や基準によって大きく変化することに気づきました。

この経験こそが価値観の違いの一例なのかなと思います。私は一年を通して価値観の違いについてこのように理解をしました。

どちらの価値観が正しいのか、正しくないのかといったことは定義することができず、それぞれにメリットデメリットがある。そして、自分が重要だと思っているものも、そもそも異なる価値観においては別の捉えられ方をする。

今中高生で色々な問題について悩んでいる方も、私のように違う環境の人と接触することが大切だと思います。それは、何も外国の人と交流するだけでなく、隣の県に住んでいる同級生と出会うことや、大学生や大人の人と出会うことが重要だと思います。

目の前にある自分の悩みや重要だと思っていることが、他の価値観を持つ人にとってどのように捉えられているのか。そして、自分が重要だと思っている問題について、他の人が別の見方をしていると知って、その上でも自分は同じ見方をするのか、あるいは見方を変えるのか
価値観の違う人との出会いは自分自身を相対化してくれます。

Grow & Leapでは、そうした異なる価値観やバックグラウンドを持つ人との交流の場を提供しています。ぜひ、そうした交流が難しかったり、もっと欲しい方はイベントに参加してみてください。何かしらの刺激を得られると思います。

サッシー

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