こんにちは。松隈です。
暗くなるのが本当に早くなりました。それもそのはず、もうすぐ冬至ですね。
寒さも日に日に増してきて、私は布団から抜け出せない事件も勃発しています。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
さて、人生100年時代と言われる現代。
「中高生」ってどのような時期でしょうか?
今日はこれをテーマに、少し考えてみたいと思います。
(中学と高校を一括りに扱うことは、やや乱暴って言わないでください…)
小学校3~4年生くらいになってくると、ギャングエイジと言われるのような時期になります。「ギャング」というのは、何だか海賊みたいな響きですが、意味としては「仲間」です。つまり、「友達が大事になってくる」時期だということですね。
そのように、同年代の周りがより意識されるようになってくる中で、少しずつ自分と周りの違いが見えるようになってきます。すると、周囲との比較を通して、自分の得手不得手を自覚するようになります。但し、ここで自覚する得手不得手は、「足が速い」「勉強ができる」といった、目に見えるものに留まってしまいがちです。
(場合によっては、この時期にひどく劣等感を抱えてしまうことも…。)
同年代の周りの子を見る中で、少しずつ、自分にベクトルが向いてきた、そのような中で迎えるのが中高生の時期です。発達心理学の世界では、「青年期」と言われる時期に当たります。
中高生は、決断を迫られることが増え、悩みも一緒に増えてきます。
勉強のこと、部活のこと、お家のこと、友達のこと。
大人になってみると、大した悩みではなかったと思うことでも、彼ら彼女らにとっては、重大な悩みです。
そんな思春期真っただ中の中高生の心のうちは…
「過度に干渉されるのは嫌だけど、だからといって放置されるのも耐え難い。」
一見すると矛盾するようにも見えますが、そういう複雑で不安定な時期。だから、周囲の大人は本人の選択を尊重し、支えてあげることが大切です。
(しかし、これが非常に難しいのもまた事実です…。)
そして、中高生に決断が迫られ、必ず通る道は、「進路選択」です。
どこの高校に行くのか、文系にするのか理系にするのか、どこの大学に行くのか。これは進路選択の表層的な部分にすぎません。
進路選択において、偏差値(偏差値57だから、○○高校!)や好き嫌い(文系嫌いだから理系の方向で!)も大事な情報のひとつですが、それだけで決めてしまうのはあまりにも軽率です。(しかし、ほとんどその情報だけで決めてしまっているのが現状です…!)
本質的な課題は、「自分はどのように生きたいのか」「自分は何者であるか」。つまり、自らの人生に対する問いです。中高生は、自分らしさや自分の存在意義、自分の価値観と自分の将来やりたいことに目を向けながら、不安と希望の狭間で思い悩みます。
これを発達心理学の世界で、エリクソンは「アイデンティティ」の課題と呼びました。
このアイデンティティの課題こそ、「人生」というスパンから見た時、中高生の最大のテーマとなるものです。
「アイデンティティ」と聞くと、ちょっと難しい感じもしますが、「自分について、輪郭をもってわかり、自分が大事にしたい価値観が形成されている状態」、そんな感覚です。
アイデンティティがある程度確立されると、「忠誠(fidelity)」という力を持つようになるとエリクソンは言いました。どういうことでしょうか?
少しわかりにくいですが、
自分で選んだ大事にしたい価値観を信じ、そこに対して忠誠を尽くして行動していくこと
です。
つまり、「お父さんのような農家さんが抱える、獣害被害を解決したい!」「身体にいいオーガニックの和菓子によって、日本文化を世界に発信していきたい!」などと強く思うようになり、自ら積極的に行動していくようになるのです。
そのような我が子、そのような中高生の姿は、ものすごく輝いていると思いませんか?
しかし、部活に勉強に学校行事に…。中高生は日々忙しいです。
「アイデンティティが大事」と言われても、なんとなく後回しになってしまいます。
だからこそ、私たちがいます。
親でも友達でもない、ナナメの位置から、一緒に悩み、一緒に探します。
中高生の「個性」がもっと輝くために。